アテルイの墓を訪ねる 2012年8月

訪問日 2012年8月10日
1)坂上田村麻呂公園
2)アテルイの首塚

この記事をupするにあたり、小説「火怨」高橋克彦著を再度読み返す。
延暦(782-806年)という、とんでもない昔の蝦夷の棟梁アテルイとモレの物語だ。
このblogの記事にもアテルイの簡単な説明があります。
→ 蝦夷とは
wikipediaにはもっと詳しくあります。

大和朝廷との戦の中、アテルイ、モレは部下五百余人を連れて田村麻呂のもとに投降したという。
その後、河内の杜山にて斬首された。
この杜山が河内植山というところで、斬首となったと言われる。
wikipediaとは違うが河内は合っているから、この大阪近郊のどこかに二人の英雄の跡があることだろう。
また、二人に相対した田村麻呂もまた賞賛される武将だ。
この田村麻呂の名前も東北各地に言い伝えと神社が残る。
朝廷の戦略か、とにかく田村麻呂はこの大和の国の歴史に名前を刻んだ。

1)坂上田村麻呂公園
まずはこの田村麻呂の地を訪ねてみた。


この田村麻呂公園は本来の墓地ではなく、出来合いの場所らしい。
山科区在住の同僚に言わせると、「あそこは偽もんですね」とのことだった。

一応地図を貼り付け
[googlemap lat=”34.968379253360354″ lng=”135.80944776535034″ align=”undefined” width=”300px” height=”150px” zoom=”14″ type=”G_NORMAL_MAP”]坂上田村麻呂の墓[/googlemap]

 

2)アテルイの首塚
次は、2011年に訪れ、2度目の枚方へ。
滋賀での単身赴任も終わり、来月には仙台へ戻る。その東北への帰還する前の墓参り。

いくつかの歴史書を読むが、千年以上も前のことなので、詳しいことはわからない。
どうしても、小説「火怨」のドラマチックな筋書きが脳裏にあるので、
アテルイ、モレの壮絶な死にざまを思い浮かべてしまう。
しかも東北の地、東北の民を想い、晴れ晴れとした気持ちで死刑となっていく。
出来れば、タイムスリップして、二人の手下となり、二人の生き様をこの目で見たいものだ。
タイムスリップなどと、ほぼマンガような想定だが、二人に支え、二人の人生を垣間見たい。

 


蝦夷に関わる地は、他にも多くあるので、随時upしていきたい。

 

 

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