何かにひかれたのだろうか、天幕と鬼首「鬼切部城址」

「火怨」(高橋克彦著)を読んでいると、
史実かどうか不明であるが、朝廷に対抗すべく騎馬数千頭を「鬼切部」の草地に隠したとある。
その「鬼切部」が「鬼首」に読み直されたと想像すると、現在の吹上高原のことか?

この吹上高原は全国でも有名な鳴子温泉(宮城県)から山あいに入った鬼首高原にあり、
キャンプ好きの私にとってはホームグラウンドみたいな場所である。
その吹上高原がアテルイと関係あるとしたら...
小説だからと、はやる気持ちを抑えながら、2005年6月に吹上高原で天幕を広げた。

途中のコンビニでビールを調達。

レジの前に貼ってあった鬼首のパンフレットが目に止まり、100円で購入。
つらつらと、楽しげな観光地とトレッキングができる山々を眺めていると、「鬼切部城跡」という場所があり、古戦場のマークがあった。
これだ!
パンフレットには説明がないが、現地の城跡に掲示板がある模様。
翌日、天幕を撤去後、現地へ向かう。

パンフレットを見ながら108号線を秋田方面に数キロ走ったが、特に標識はなく、そろそろ戻ろうかという時に城跡の標識がこけしとともに現れた。
そのこけし標識はバス停「若神子原」側にあった。

この地名はなんだろう?
神がいる原っぱ?若い神の子供?どういった由来があるのだろうか?

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そんな疑問もありつつ、現地へ向かう。

ここを左に曲がり車で数分、うねうねとした狭い道であるが、ちゃんと舗装された道を上り詰めたところが城跡なそうである。
掲示板をワクワクしながら見ると、

「鬼切部城址
永承5年(1050年)陸奥の俘囚安部頼良の時代。
前九年の役(1051年~1062年)の戦場となった。」

アテルイがいたころから200年以上後の城跡なそうな。

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朝方はどんよりと曇っていたが、夏らしい日光で草原も暑くなってきた。

鬼切部城跡を降りる途中の眺めがまた良い。

今回のエミシとの繋がりはみられなかった。
が、この地が特別な所だということは分かった。
こういった特別な地で歴史は繰り返されるのだから。

 


 

【2014年7月追記】

2005年当時、無知だった私は「陸奥話記」という戦記文学?なる書物もしらなかった。

前九年の役の名前は記憶があるものの、大和朝廷と東北との大きな戦の記録があるとは。

また、安部頼良がエミシの末裔とは知らなかった。

メールで教えてくれたのはマーシャルさん。 その件を書いたblog ↓

『「火怨」を読んで(その1) ~鬼切部のおまけ~』  (blogまったりの天幕生活)

 


 

【2014年7月追記 その2】

今回見つけたバス停「若神子原」。

由来がありそうで、神という字が充てられているせいか、神々しい感じもしないではない。

心の片隅にひっかかる地名だ。

この次の記事はこの「若神子」に関連した記事を書きたいと思う。

 

 

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